城南村道路元標

令和3年2月9日(火)

城南地区に道路の起点(終点)となった標記物が、コミュニティセンター城南会館裏手の旧JA城南支所跡地に城南村道路元標(どうろげんぴょう)として大正11年11月に建てられてありました。支所解体の時に掘り起こされて、現在のJA農業倉庫脇に放置されていましたが、当時の城南地区まちづくり協議会会長酒井良治氏が、JA丹南支店にお話しされ現在の場所に建て直されております。

道路元標は1919年(大正8年)に道路法(大正道路法)が制定され、1920年(大正9年)4月1日から施行されました。1922年(大正11年)頃には1万2千余りの市町村があり、大正道路法では市町村に各1箇所の道路元標を設置するとあり、道路網整備の基点として同数の元標が建てられました。現在では、平成の大合併もあり、1999年(平成11年)3月末3,232あった市町村の数は、半数近くにまで減って1,727の市町村となり、2014年(平成26年)時点で確認されている(大正道路元標)の残存数は、全国で2,000箇所未満といわれているそうです。

当時の道路の起点、終点、経過地を表す標記物であり名残のある城南村道路元標石柱です。縦横25センチメートル、高さ地上約60センチメートルの直方体で、頂部が弧を描くように丸く削られた形状をしており、材質は花崗岩で、風雪に耐えて令和4年11月には設置後100年を迎えますが、今でもしっかりと文字は読み取れます。この地が城南村あった証でもあり大正時代の人々の思いに夢めぐらせ後世に伝え残したいものです。

参考:兵庫県丹波篠山市の標柱は呉服町の歴史美術館南西角にあります。1902年(明治35年4月)に建立されたとわかります。